2012.11.29









既視感に 委ね静かに 冬煙る




東北本線 乙供-千曳
1999.12

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2012.11.28









或る分かれ道の朝




福島交通飯坂線 笹谷-上松川
2012.11

2012.11.27









電車が来た事には気付かれたと存じますが、
果たして、赤べこの存在には気付かれますでしょうか。





磐越西線 川桁
2012.6

2012.11.26









封じられ尚 凛として 主張せり




仙石線 陸前小野
2012.11

2012.11.25









雨の日と月曜日は




常磐線 亘理
2012.7

2012.11.23









木々に見守られ、流れに身を委ねる路




只見線 会津川口
2000.10

2012.11.22









寿(ことほ)ぐは 赤べこ 庄助 たから山




磐越西線 磐梯町-更科(信)
2012.11

2012.11.21









息荒げ 吾妻背に踏む 万世路




奥羽本線 庭坂-赤岩
2012.11

2012.11.20









八年の 稔る足許 今日も過ぎ




福島交通飯坂線 飯坂温泉-花水坂
2012.11

2012.11.19







村時雨 鉄の小径も 冷めにけり




福島交通飯坂線 飯坂温泉-花水坂
2012.11

2012.11.19









首すくめ 小富士見上げる 峠道




奥羽本線 赤岩-庭坂
2012.11

2012.11.16









遥かなる 旅路を共に 窓の傍




仙山線 面白山高原-山寺
2012.11

2012.11.15









大輪の 傍に小輪 芽吹く初夏




旧国鉄川俣線 岩代飯野
2011.7
2012.11.14









望むるは 禅を見おろす 雪の峰




福島交通飯坂線 花水坂-医王寺前
2012.11

2012.11.13









或る分かれ道の大樹




福島交通飯坂線 笹谷-上松川
2012.11

2012.11.12









潜り往く 天に架かりし 二重橋




奥羽本線 板谷-庭坂
2012.11

2012.11.11









落ちて来る葉を掃く、と言う仕事。




奥羽本線 庭坂-板谷
2012.11

2012.11.10









燃え盛る 水と緑に 包まれて




只見線 会津桧原-会津西方
2012.8

2012.11.09









降りたばかりの夜の帳、
貫く一筋の閃光。





常磐線 逢隈-亘理
2012.5

2012.11.08









頂の 神々しきは 斑雲




磐越西線 磐梯町-更科(信)
2012.11

2012.11.07









山郷の 葉も色褪せる 高き空




磐越西線 翁島-更科(信)
2012.11

2012.11.06









苔生す社が一瞬、朱に染まる。
刻は変わらず、たおやかに流れる。





只見線 柿ノ木-入広瀬
2012.11

2012.11.05









箱庭の如き晩秋 雨車




只見線 入広瀬-柿ノ木
2012.11

2012.11.04









頂に 白髪混じりて 焔立つ




磐越西線 川桁-猪苗代
2012.11

2012.11.01





庵主で御座います。
本日も、ご来庵誠に有難う存じます。

記事本文中に、いつもは欄外に隠れている庵主の呟きが突如出現し、
鉄道写真集ではなくなったのか? と思われている方も多いかと存じます。

こちらの一献は、季節に一度登場する“庵の歳時記”と申します。
庵のある街の、昨今の様子や、庵主の徒然事などをそこはかとなく書き綴る、
しまだれ(暇だれ=暇つぶし、時間を持て余す)な一献に御座います。

間も無く、宮城県の南部・亘理町に庵を構えて、一年になろうとして御座います。

近代稀に見る未曾有の大災害が発生した当時は、同じ宮城県の内陸・大河原町に、
瀟洒なアパートメントを借りて、…住んでおりました。
当時まだ「庵の主(あるじ)」ではなかった庵主は、この内陸で被災しました。

思考の枠組みや価値観の変化よりも先に、と申しますか、
庵主の脳内だけは揺さぶられずに、物理的な環境の変化を余儀無くされました。

その後程無く、一身上の大きな変化も御座いました。
思考や価値観が、全て入れ替わる程の大きなもので御座いました。

併(しか)しこの間、一貫して、現在も仲間で在り続け、支えになってくれる、
音楽、そして写真の仲間、旧友が、居てくれています。

そして、敢えて、被災地に庵を構えようとか、
そうした大層な決意など持てる程の器も無い小さな流浪の身を、
傷つき、まっ更になって尚、此の街は、受け止めてくれているので御座います。

そんな人々や街に恥じないよう、前を見据えて、
自身の中で変えるべき所、変えざるべき所を、折に触れ、一つ一つ見分けつつ、
同時に、肩肘を張らずに、好きな事とやるべき事をしながら、
腰を落ち着けて過ごして参りたく存じます。

ご高覧頂いております一献は、常磐線・浜吉田駅の東方二十四町ほどに立つ、
震災瓦礫の焼却場に御座います。